【仏教の主要な宗派②】浄土真宗について解説!

2024.11.14

    日本の仏教にはさまざまな宗派があり、それぞれの宗派は独自の教え儀式の違いを持っています。 今回は主要な宗派のひとつである浄土真宗について解説します!

    浄土真宗とは

    浄土真宗は、日本仏教の一つの大きな流派であり、阿弥陀仏(あみだぶつ)に帰依することで救済を得るというシンプルかつ深遠な信仰を特徴としています。この宗派は、親鸞聖人が鎌倉時代に開き、現在では「浄土真宗本願寺派(西本願寺)」と「真宗大谷派(東本願寺)」の二派が代表的な流れとして受け継がれています。それぞれが親鸞聖人の教えをもとにしながらも、異なる教義解釈や歴史的背景を持ちつつ発展してきました。

    親鸞聖人の生涯と浄土真宗の始まり

    浄土真宗の宗祖である親鸞聖人は、1173年に平安時代末期の京都に生まれました。親鸞聖人は9歳で出家し、比叡山で20年以上にわたって修行に励んでいましたが、どれだけ修行をしても煩悩から解放されることはできず、悩み苦しむ日々が続きました。29歳のとき、比叡山を離れて六角堂に篭り、95日目の明け方に聖徳太子の夢告を受けました。この導きに従い、専修念仏を説く法然上人のもとへ赴いたことが、彼の人生を大きく変えることになります。 法然上人との出会いによって、親鸞聖人は「南無阿弥陀仏」の念仏を唱えることにより、阿弥陀仏の慈悲を受けることができるという「念仏一つで救われる道」を見出しました。このとき、親鸞聖人は「自分の力で煩悩を捨て去り悟りを得る」という修行ではなく、「阿弥陀仏の慈悲に救われる」という教えこそが、自らの求めていたものだと確信しました。これにより親鸞聖人は阿弥陀仏の慈悲に深く帰依し、どのような人間も念仏によって救われるという思想を生涯にわたって説き続けたのです。

    浄土真宗の中心教義「南無阿弥陀仏」とは

    浄土真宗の信仰の根本には「南無阿弥陀仏」があります。この言葉は、「阿弥陀仏に帰依し、救いを願う」という意味を持ち、阿弥陀仏の誓願(約束)にすべてを委ねるという信仰の姿勢を表しています。親鸞聖人は、「自力ではなく他力」、つまり自分の力での修行ではなく、阿弥陀仏の誓いにより救われると説きました。これが浄土真宗における「他力本願」の教えであり、凡人である私たちが阿弥陀仏に完全に身を委ねることで初めて救済に至るとされています。 念仏は、単に救いを願うだけでなく、阿弥陀仏から「私に任せなさい、必ずあなたを救う」と呼びかけられる慈悲の表現です。この念仏を唱えることで、私たちは阿弥陀仏の存在を感じ、安心と喜びに包まれることができます。そして、念仏を通じて阿弥陀仏の慈悲に触れることで、日常の苦しみや孤独感を超え、「ありのままの自分を受け入れる」ことができるとされています。

    浄土真宗本願寺派(西本願寺)

    「浄土真宗本願寺派」は、一般に「西本願寺」として知られ、京都に本山を構えています。西本願寺は、歴史の中で蓮如上人という僧が大きな役割を果たし、親鸞聖人の教えを民衆に広く普及させました。蓮如上人は人々にわかりやすく教えを説き、文書(御文)を用いて信仰の重要性を広め、多くの信徒を獲得しました。これにより、本願寺派は庶民信仰としての基盤を確立し、日本中に広がる浄土真宗の教団を形成していきました。 本願寺派の中心的な教えは「阿弥陀仏がすべての人をかけがえのない存在として見守っている」という思想です。念仏は、「阿弥陀仏が私たちを常に見守り、導いてくれている」というメッセージであり、信徒たちは念仏を唱えることでその慈悲に感謝し、安心を得ています。また、西本願寺では寺院が信徒にとって日常的な交流の場であることを大切にしており、仏教が人生の困難に寄り添うものであることを強調しています。

    真宗大谷派(東本願寺)

    「真宗大谷派」は「東本願寺」として知られ、親鸞聖人の教えをさらに現代の社会へと発展させていくことに注力しています。東本願寺の門徒たちは、親鸞聖人の教えを通じて社会的な平等や相互理解を重視する姿勢が特徴です。また、東本願寺では「同朋会運動」と呼ばれる信仰の運動を行っており、寺院が地域社会のなかで多くの人にとって信仰の拠り所となることを目指しています。 東本願寺の信仰の根本には、親鸞聖人が深く理解した「阿弥陀仏の慈悲」があります。この慈悲は「どのような人間でも、そのままの姿で救われる」という平等な救いの心です。親鸞聖人は、煩悩に満ちた人間であっても、ありのままで受け入れてくれる阿弥陀仏の慈悲に気づき、その慈悲を頼りとすることで救われるという教えを広めました。また、東本願寺の信徒たちは「真宗大谷派宗憲」に基づき、宗教組織としての民主化や、平等な社会を目指す運動を進めています。

    阿弥陀仏との「出会い」と「救い」

    浄土真宗は、阿弥陀仏との出会いを通じて、私たちが苦しみから解放されることを説く「出会いの宗教」とも言えます。親鸞聖人が阿弥陀仏に出会い、その慈悲にすべてを委ねたように、私たちもまた阿弥陀仏に出会うことで心の安らぎを得ることができるのです。現代社会において、他者とのつながりや自分自身の存在意義に迷い苦しむ人も多いですが、阿弥陀仏の「かけがえのない尊いいのち」として見守られることで、孤独や苦しみから解放されることができるとされています。 親鸞聖人の教えは、煩悩に満ちた自分をありのままに受け入れることで、苦悩や迷いの中に生きる人々に生きる力を与えてくれます。念仏を通じて阿弥陀仏とつながることで、私たちがその慈悲に包まれていることを感じ、絶望や困難に立ち向かう勇気を得られるのです。

    浄土真宗の現代的な意義

    浄土真宗は現代の社会でもその教えが広く受け入れられており、日々の生活の中で心の拠り所として機能しています。多くの人が生きづらさや孤独感を感じる現代において、阿弥陀仏の慈悲の中で自分を受け入れるという教えは大きな安らぎを提供します。また、浄土真宗は、世俗の欲望や煩悩にとらわれがちな私たちが、日常生活の中で仏教に触れることができるような柔軟な形での信仰のあり方を提示しています。 親鸞聖人の教えは、誰にでも開かれた平等な救済の道として、多くの人々に支えられてきました。特別な修行や知識を必要とせず、ただ念仏を唱えることで阿弥陀仏の慈悲に触れられるというシンプルな教えは、現代の忙しい生活の中でも心に響きやすいものとなっています。

    おわりに

    今回は浄土真宗について解説しました。 他の宗派、そして自分の家がどの宗派かを確認する方法については以下の記事をご覧ください!

    【仏教の主要な宗派①】浄土宗について解説!

    【仏教の主要な宗派③】真言宗について解説!

    【仏教の主要な宗派④】臨済宗について解説!

    【仏教の主要な宗派⑤】曹洞宗について解説!

    【仏教の主要な宗派⑥】日蓮宗について解説!

    あなたの家は何宗?自分の宗派の調べ方を解説

    (参照) https://www.higashihonganji.or.jp/ https://www.hongwanji.or.jp/

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