2024.11.14
日本の仏教にはさまざまな宗派があり、それぞれの宗派は独自の教えや儀式の違いを持っています。 今回は主要な宗派のひとつである臨済宗について解説します!
臨済宗は、坐禅を通じて悟りを求める日本の禅宗の一派で、その創始者は中国の禅僧・臨済義玄(りんざいぎげん)です。義玄の教えは、約800年前に宋(中国)に渡った日本の僧、栄西(ようさい)により日本へ伝えられました。臨済宗は「看話禅(かんなぜん)」や「公案禅(こうあんざん)」とも呼ばれ、弟子が「公案」と呼ばれる課題に取り組むことで、真の悟り「見性(けんしょう)」を目指します。この公案を通じた修行は「考えを超えた気づき」を促し、臨済宗はその実践によって人生や死生観にまで深く関わってきました。
中国の禅宗の始まりは、インドから中国に渡り、初祖とされる菩提達磨(ぼだいだるま)に端を発します。禅の教えは達磨から代々伝えられ、馬祖道一(ばそどういつ)や百丈懐海(ひゃくじょうえかい)、そして黄檗希運(おうばくきうん)へと続き、臨済義玄がその系譜を引き継ぎます。義玄は弟子に厳しい教えを施し、「喝(かつ)」や「棒」を用いて一瞬で悟りに気づかせようとしました。臨済義玄の教えを基盤とする臨済宗は、日本においても厳しい修行を重んじ、激しいやり取りを通じて禅の深奥に至る宗派として独自の地位を築きました。
臨済宗の修行においては、師から与えられる「公案」を通じて修行者が悟りに至る道を探求します。公案とは、「答えが出せないような難問」を指し、たとえば「片手に音があるなら、その音は何か?」といった問いかけがその典型です。この問いに悩み続けることによって、理屈を超えた直観的な悟りに達することが目指されます。 公案は非常に多岐にわたり、臨済録(りんざいろく)や碧巌録(へきがんろく)など、古人の悟りが記録された書物から師が適切な課題を選び、弟子に与えるのが一般的です。「公案は約1700則ある」とされ、それぞれの問いが修行者を迷いや妄想から解き放つきっかけとなるのです。また、江戸時代の禅僧・白隠慧鶴(はくいんえかく)は新たな公案を生み出し、修行の段階を踏んで悟りに導く体系を築きました。
臨済宗において「喝(かつ)」は特別な意味を持ちます。「喝」は禅僧が激しく叫ぶ声であり、弟子の迷いを打ち砕く力を持つとされます。臨済義玄が定めた「四喝」は以下のように説明されます。 「金剛王宝剣の如く」 - 全ての迷いを鋭く断ち切る一喝を指し、修行者の妄想を一刀両断する強烈な力があります。 「踞地金毛の獅子の如く」 - 獅子が身構えるように修行者を威圧する一喝で、師の迫力に圧倒されて、弟子は無意識の境地に至ります。 「探竿影草の如く」 - 池の水草を動かして魚を探すように、相手の心の状態や力量を探る一喝を指します。 「一喝の用を作さず」 - 具体的な作用をもたない「純粋な喝」であり、特定の意図を持たず、ただその場で発せられる一喝です。 これらの「喝」は、言葉を超えた悟りを指し示すためのもので、知識や言語で説明されない禅の体感として弟子の心に響きます。こうした一喝は、葬儀においても故人に引導を渡す際に用いられ、臨済宗では死を超えた安らぎの世界へ故人を送り出す儀礼にもなっています。
臨済宗では、悟りの体験を「見性(けんしょう)」と呼びます。「見性」は、仏教の教えにある「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」すなわち「全ての生きとし生けるものは仏性を持っている」という真実に気づくことです。これは、自分の本質が本来のまま仏であるという悟りです。悟りは単なる知識ではなく、自らの内奥で気づいた体験です。白隠慧鶴は「大悟小悟、数を知らず」と言い、生涯で幾度も悟りを開きました。この言葉は、悟りが一度だけの到達点ではなく、何度も体験されるものだと示しています。
臨済宗では、特定の本尊が定められているわけではなく、仏教の開祖である釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)を中心に、観音菩薩や薬師如来、不動明王といった仏を祀る寺院が多く見られます。どの仏を祀るかは寺院や個人の縁によりますが、臨済宗の僧侶たちは御本尊を修行者の「鏡」として尊び、自らの気づきを得るための存在として信仰しています。これは御本尊がただの偶像ではなく、自らを照らす存在であることを示しているのです。
臨済宗では禅が中心となるため、知識だけでなく、体験そのものが重視されます。山田無文老師が「禅は頭ではなく、肚(はら)でわからなければならない」と説いたように、悟りは理論ではなく実際に経験してこそ得 られるものです。禅の道は単なる知識や書物の理解を超えて、心と体で真理をつかむ実践の連続です。臨済宗の修行を通じて、こうした「体験としての悟り」を得ることが求められます。
現在、日本には臨済宗の大本山が14派存在し、それぞれが独自の文化や伝統を守っています。建仁寺派、妙心寺派、東福寺派、大徳寺派など、各派が伝統の教えを継承し、今日に至っています。また、臨済宗の教えはその厳格さから武士に広まり、日本人の精神文化の中にも深く根付いてきました。現代でも、臨済宗の寺院では日常生活での気づきや精神の鍛錬を得る場として多くの人々が訪れます。
臨済宗の教えは、日常の生活の中でふとした瞬間に訪れる「気づき」の大切さを説きます。禅は答えを求めるだけではなく、疑問を持つ心を大切にし、その疑問を乗り越えることで自らの本質に近づくのです。臨済宗が重視する「公案」や「喝」はその過程であり、人生の一つひとつの瞬間を貴重な気づきの機会に変えてくれるでしょう。
今回は臨済宗について解説しました。 他の宗派、そして自分の家がどの宗派かを確認する方法については以下の記事をご覧ください!
【仏教の主要な宗派①】浄土宗について解説!
【仏教の主要な宗派②】浄土真宗について解説!
【仏教の主要な宗派③】真言宗について解説!
【仏教の主要な宗派⑤】曹洞宗について解説!
【仏教の主要な宗派⑥】日蓮宗について解説!
あなたの家は何宗?自分の宗派の調べ方を解説
(参照) https://www.d-tokoji.com/rinzai001/
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